「頑張らない介護」の重要性を考える

家族の介護が必要になった時には、「将来どうなってしまうんだろう」「仕事を続けることができるんだろうか」といった先行きについて強い不安を感じてしまうものです。

特に日本という国においては介護が必要になった高齢者はその子供など家族が面倒を見るのが当然という意識が持たれているため、そこに生じる負担の全てを家族が引き受けなくてはいけないという思いが強くなってしまいます。

もちろん愛する家族の介護を子供たちが行うということ事態は立派な心がけといえますが、逆に家族なんだから何もかもを引き受けなくてはいけないと思い込むことは大変に危険です。

ニュースを見ていてもしばしば介護が必要であった親と無理心中を試みたり、火災が起こったときに家族共々逃げ遅れてしまったというようなケースを見かけます。

介護において最も重要なのが、その介護によって家族全員が共倒れになってしまわないようにするということです。

もし介護をしていて精神的につらいと感じてしまっていたり、生きる意欲をなくして自分が死ぬことを考えるよういなってきたという時には迷わず周囲に助けて欲しいと訴えるようにしましょう。

京都府認知症母殺人事件について

介護を頑張りすぎたが故に起こった最も悲惨な事例として今も記憶に新しいのが「京都府認知症母殺人事件」です。

これは2006年2月1日に認知症を発症していた86歳の母親を介護していた54歳の息子が、京都府伏見区の遊歩道で母親の首を締めて殺害をしてしまったというものです。

この事件がそれまでの介護に関する殺人事件と大きく異なっていたのが、介護によって母親を憎んでいたわけでなく愛情を持っていたが故にそうした痛ましい行動を選んでしまったということです。

息子は母親に認知症の症状が激しく出るようになったことでそれまで勤務していた仕事を離職したのですが、そのため生活費に困窮をするようになりデイケアや家賃などを支払うことができなくなりました。

何度も生活保護の受給を申し込んだもののまだ働くことができるということを理由に受け取ることができず、犯行時にはわずかな小銭を持っていたのみであったとも伝えられています。

自分自身の食べ物や住むところにも困る状態にありながら、母親が徘徊や異食を繰り返していたということを考えると、絶望的な気持ちになってしまうということも想像できるでしょう。

この事件では殺人事件であるにもかかわらず温情判決と言ってもよい執行猶予付きの判決となったのですが、その後長男は自殺をしてしまっていたことがわかりさらに大きな衝撃を世の中に与えました。

この事件の原因は必ずしもひとつではないのですが、それでも介護という負担を家族のみが引き受けることの危険性を十分に世間にしらしめることにはなったと言えるでしょう。

相談窓口は一つだけではない

頑張らない介護をするために最も重要になるのが、自分自身の逃げ道を作っておくようにするということです。

介護はその家族の構成や介護を受ける人の健康状態、また親類や近所の人との協力がどこまで得られるかという個々それぞれの事情があり一つとして同じものはありません。

周囲に介護をお願いできるような体勢があればもちろんベストなのですが、そういうわけにはいかないという人は、追い詰められる前に早めに相談所に行き自分が頼れる方法はないかということを尋ねてみるのがすすめられます。

生活保護受給窓口だけでなく、他に自治体の運営する区役所/市役所の福祉課にいるソーシャルワーカーに相談をしたり、介護関連のネットワークを持つNPO法人などが地域にはあるはずです。

上記の事件を起こした長男は事件前周囲に「人に迷惑をかけたくない」と言っていたそうですが、自分自身を追い詰めることは全く美徳ではないということはしっかり理解しておいてもらいたいです。

特に真面目な性格の人ほど自分を追い込みがちなので、自分でできることと周囲に頼れることを分けて介護をしていく方法を考えていきましょう。